2012年01月23日

みどりのかぜ 第246号

『 二度目の入院を経て 』
第5病棟 T.S様


 前十字靭帯『再』断裂というのが、今回の入院の原因であった。『再』という字が示すように、六年前にもスポーツ中に靭帯断裂。今回もスポーツ中に断裂した。だが、スポーツの種類が前回と異なったため、どちらのスポーツも禁止されずに済んだ。私は不器用であり多くのスポーツをこなし楽しむよりは、中学校から続けているスポーツであるバトミントンを突き詰めたいと考えている。そのため、多少違和感がある表現ではあるが、今回は異なったスポーツでの靭帯断裂で良かった。回復後は大いにバトミントンに励みたいと考えているが、当然ながら問題は再々断裂である。前回は靭帯再腱手術を受け、スポーツができるまでに回復したあと部活に復帰し、再断裂を恐れながらもいつの間にかそれを気にしなくなっていった。6年という長い月日が経つと靭帯断裂という危機感は頭の片隅からも消えて、断裂などしないと高をくくっていた。その結果が再断裂である。この愚かさを繰り返さないために、この機会に少し考えてみようと思う。
 今回の再断裂という結果は危機感の欠如によるものだと先に書いた。しかし、これから一生それを持ち続けるのは不可能だと思う。そこで、手術日を強く記憶しておくと言うのはどうだろうか。簡単そうなことである。9月14日を毎年記念日として手術を思い出し、身を引き締めることができる。また、記念日を記憶しておくことで得られるメリットとして、検診を忘れないということもあるのではないだろうか。毎年思い出せば、自然と手術日からどのくらい経つかということを考えると思うので、検診のことを思い出すであろう。 話は変わるが、この入院では多くのことを得た。まずは再腱された靭帯である。これは宮武先生をはじめ諸先生方、看護師の方々のおかげであり感謝しています。
 また人生において靭帯と同等の価値のある経験を得た。それは他の入院患者さんとの交流です。
 私は大学院生という立場であることから、毎日大学に通い研究室という狭い人間関係の中で、日々研究に励んでいる。研究を行うことに関して言えば、気心知れた研究室の仲間だけであるから、一切気を使わず自分の研究に没頭することができる。
 私は人と出会い交流することは、その人の深い人生経験を得る機会であると考えている。得た人生経験は今後必ず自分の人生の助けとなると思う。その点、学校では新しい出会いはほとんど無い。ところが今回の入院では全ての人が初見の方々であり、学校生活とは一変した。元来人見知りな私は、同室の方々のことを気にしていたが、そのようなことは気にする必要など無かった。それ程同室の方々は明るく私を迎えてくれた。すぐ次の日が手術日であった私は、身も心もほぐされ緊張せず手術日を迎えることができた。術後次第に回復していくに従って、更に入院している患者さんとの交流は深まった。また深まっていくと同時に、他の患者さんや看護師、理学療法士の方々と、交流する範囲が広がっていった。普段、こんなに短時間で多くの方々と交流することが少ない私にとっては、一日一日が新鮮でありとても楽しかった。人と交流することは楽しいことなのだと、改めて実感した。これは来年度、名古屋という何も知らない土地に就職する私にとって、良い練習になったと思う。今回の交流のように楽しいことが待っている、と期待して名古屋に旅立てる心境となった。
 話は変わるが、この入院では多くのことを得た。まずは再腱された靭帯である。これは宮武先生をはじめ諸先生方、看護師の方々のおかげであり感謝しています。
 また人生において靭帯と同等の価値のある経験を得た。それは他の入院患者さんとの交流です。
 交流をもった方々からは、人生の先輩として様々なことを教えていただいた。驚くほど知識が広い方のお話を聞くのは非常に興味深かった。私は自分の研究分野に関してはまだまだではあるが、それなりに知識は持っている。しかし、話をしていて面白いと感じる人は、一つの分野に特化するだけではなく、幅広い知識や経験をもたなくてはいけないと感じた。これから社会人となる私にとっては、面白い話ができるというのは大事になると考えているので、この学生時代にしかできない知識や経験を得るよう、多くのことに挑戦し多くの人と出会いたい。
 中には手厳しい訓示もいただいた。慢心してはいけないというものだった。自分では慢心していないつもりでも、外からみているとしていたのかもしれない。外側はどのように取り繕っても、内面では多少なりと慢心していたから、このような訓示をいただいたのだと思う。私は慢心するということは自分の成長を止めると考えている。しかし、一方では慢心は自信となり、新しい分野に挑戦する力となるのではないだろうか。若輩の私に少しの慢心を許していただき挑戦する力とし、その中でも遂に習う気持ちは一生持ち続けたい。
 最後にこの入院生活では多くのひとにお世話になった。毎日楽しく新鮮味があったのも、これらの方々のお陰であり感謝します。
 本当に有難うございました。
posted by 仙台整形看護部 at 16:11| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第246号

『 窓の外 』
第4病棟 Y様


 毎日秋晴れの良い天気が続いている。今日も良い天気だ。病室の中はまるで温室のようである。日中は暑いくらいで、少し窓を開ける。心地よい。体がまだ本当でないので、うとうとして寝てしまう。入院中こんなにゆっくり寝たのは初めてである。
 結婚して以来、子育てに追われ生活全般に追われ、あっという間に還暦を過ぎた。そしてこの震災。家も車も全部流された。幸い家族は全員無事だった。(ので良しとする)
 2ヵ月ほど前に転んで半月板を痛めた。ずっと様子を見ていた。そうしたら今度はテーブルを運んで「ギックリ腰」になってしまった。今回で4回目である。以前のように4〜5日で治るだろうとおもっていた。が4日目から全く動けなくなり、とうとう入院してしまった。1週間もすると、大分痛みもとれてきて、窓の外を眺められるようになった。
 ここから沢山の仮設住宅が見える。ここは、荒浜の人達が入っているのだろうか。皆何を考えて暮らしているのだろうか。今後の生活は・・ 仕事は・・ 家は・・
 早く皆元気で立ち直って欲しい。体には十二分に気をつけながら。
posted by 仙台整形看護部 at 16:07| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第246号

『 ザ・2回目 』
第5病棟 T.A様


 今回は2回目の入院でした。前回は去年の9月に入院し、2ヵ月半お世話になりました。しかも2回とも5階病棟。
 深夜に窓から抜け出し煙草を吸っていて、外にいるのに気付かれず中に入れず行方不明扱いになったり、深夜に待合室で一人黄昏ジュースを飲んでいて迷惑をかけたり・・。それ以外にも多々迷惑をかけたのにも関わらず、親切にして頂きました。「2回目は来れないなぁ」と思っていましたが、結局お世話に(笑)今回は流石に大人しくしていたつもりですが・・。
 前回は東側、今回は検査入院時東側、手術前後は西側、その後東側の病室と、5階の全ての看護師&看護助手さん達のお世話に。前回は年配の方々が多く同世代が少なかったため、入院生活はこんなものか・・と思っていましたが、今回は同世代や良い意味で変わった方々が多く、病室移動は語弊がありますが楽しく感じました。
 入院は共同生活なので楽しんだ方が得。たしかに歳も異なれば生活環境も異なり、合う合わないがあると思います。一人カーテンを締め切りこもってテレビを観るのも良いかも知れませんが、そこは一つカーテンを開けて見ましょう!自分からカーテンを開ければ新しい発見があると思う。
 もし、それでもダメな場合は看護師&看護助手さん達にお任せしましょう。親身になり考え行動してくれます。(多分)
 2年連続で入院し、病院に来る&関わる様々な人達と話した結果ですが、5階病棟に入院することになりとてもよかったと思います。3回目は無いと思いますが、万が一あった場合は宜しくお願いします(笑)  本当に有難うございました。
posted by 仙台整形看護部 at 16:04| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第246号

『 どうだぁ〜 』
第3病棟 B様


 突然右手の中指と薬指が折れ曲がり、開くことが出来なくなった。丁度影絵でやるキツネの形だ。ハサミが使えない。自動販売機のつり銭の穴に指を入れようとすると引っ掛かる。犬にお手をしたら犬にバカにされた。箸も使えずメシもまともに食えない。指二本が曲がっただけで日常生活、不便この上ない。「お前の指は治らん!その代り神経の通りを良くしてやる」そう言ったのはメスを持つよりチェンソーが似合う、ジェイソン兵藤(映画、13日の金曜日より)である。ジェイソン兵藤はチェンソーのエンジンを吹かしながら俺に切りつけて来た。「ギャァーー」首の後を切られた俺は気を失った。意識を取り戻した時は22針も縫われていた。俺はふと思った。『まだ生きている、絶対指を元通りに動かしてやる』と。
 俺は体にチューブが二本差し込まれていた。一本は傷口へ、もう一本は○○ポコへ、くそ!便所に行かせない気だ。それでも4日目にはチューブを抜かれた。「ハイ、大きく息を吸って吐いて」スポ!「アハーン」よしこれで便所に行ける。車いすに乗ったがなんて動かしづらい、アクセルが付いていないぞ。2日目以降は歩行器、1週間くらいで歩いていた。よし、今度は走るぞ、目標は百メートル9秒5だ。
 俺はリハビリ城に連れてこられた。女王様以下お姫様、王子様たちが、俺のような体の動かない奴らを、捻ったり曲げたり潰したりしていた。俺も女王様から鞭で打たれ、溶けた蝋燭を垂らされ、360ボルトの電気ショックまで掛けられた。あまりもの快感に『女王様〜そこ、もっと〜』
 次第に曲がった指が伸びるようになってきた。時々顔を見せるジェイソン兵藤には『どうだぁ』とばかりに指を伸ばして見せた。すると『お前はもう出て行け』と言われた。『嫌だ、まだ居る』俺は食い下がった。ここの城の姫様たちは皆めんこい。王子様はかっこいい。お局様は魅力的だ。とにかくこの城は居心地がいいのだ。あっ、また奴が来た。俺は右手を広げ『どうだぁ』と腕を伸ばした。
 この物語はフィクションです。
posted by 仙台整形看護部 at 16:01| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第246号

『 無事終って 』
第5病棟 S.H様


 手術も無事終って次の日から歩けました。手術するまでは随分迷いましたけれど、こんなに早く退院できるとは思いませんでした。病院の皆様方に、大変お世話になりました。病室の方々も良い人ばかりで、とても楽しかったです。
posted by 仙台整形看護部 at 15:59| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

2011年12月21日

みどりのかぜ 第245号

『 先生そしてナースの皆様に 』
第5病棟 J.S様


 先生、痛みなく自分の足で歩くことの喜びを与えてくださり、ありがとうございました。
 「腰部脊柱管狭窄症」入院前に色々なことを耳にし、手術はしたくないと思っていました。7月5日、かかりつけの先生に紹介され仙台整形外科病院を受診しました。そして先生にお逢いしお話をしているうちに、先生に全てをお願いする決心がつきました。
 術後は熱、点滴、輸血、体位交換など、ナースの皆さんには随分お手数をかけました。いつも笑顔でやさしく、本当に白衣の天使そのものでした。
 熱も下がり、長い暗いトンネルをようやく抜けた気がしました。初めて歩いた時、「アレ、あの痛さはどこへ?」と不思議な思いでした。今でもまだ時々夢でないかと思うときがあります。
 入院中いろいろな方達と出逢い、人の痛みを感じる心をさらに学びました。退院して実生活に戻った時、あらためて感謝と喜びが溢れると思います。
 兵藤先生、ナースの方々一人一人の笑顔を思い出しながら書きました。本当に有難うございました。
 
 痛みなく
    歩ける足を
       地につけて
    喜びかみしめ
        今日退院
posted by 仙台整形看護部 at 16:58| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第245号

『 楽しかった入院 』
第5病棟 T.E様


 8月16日早朝、ゴミ出しのためゴミ袋片手に集積所に向かって歩いていると突然ギクリ、右足首の骨折でした。痛みが激しいので、設備の整った仙台整形外科病院に入院しました。
 何年か前に姉が骨盤の手術をし、当院には大変お世話になりました。今度は私がお世話になっております。先ず私なりに感じましたことは、看護師さんの患者に対しての対応のあり方で感動しました。看護師の皆様は資格をもち、ナイチンゲールの教えを身につけておられるのでしょうか。完璧であります。
 朝夕病室へ挨拶にこられた際には、病室の一人一人の患者に「何か変わりありませんか?」と声をかける際の眼差しは、暖かくもあり瞬時に変化を見落とすまいと、厳しくも愛が感じられます。私達は安心して入院生活を送ることができました。
 それに「人生とは一生を通して学びだ」と誰かが言ったような?一ヵ月間の闘病中、色々な人と触れ合うことができました。十人十色と言いますが本当にそのとおり。人をとおして私なりに学ばせていただくことが多かったです。助け合い、励まし合い、笑い、涙あり。人としてこの世に生まれ、一人一人に課せられた重荷にめげることなく、力強く歩んで行けるよう、全てに感動しつつ病院生活を楽しく過ごさせていただきました。
 宮武先生、看護師、その他のスタッフの皆様には、大変お世話になり心から感謝申し上げます。
 ありがとうございました。
posted by 仙台整形看護部 at 16:56| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第245号

『 感謝 』
第5病棟 Y.M様


 8月2日入院いたしました。兵藤先生のおかげで、無事11月3日に退院することになりました。看護師さんたちはどんな仕事でも、笑顔を絶やさず親切にしていただきありがとうございました。
 感謝に堪えません。
posted by 仙台整形看護部 at 16:54| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

2011年11月20日

みどりのかぜ 第244号

『 入院生活を終えて 』
M.T様


 私は交通事故で右足の後十字靭帯が断裂、入院、手術で3週間お世話になりました。第5病棟のスタッフの方々は皆さんやさしく親切な方ばかりで、安心して入院生活を送ることができました。
 また、川又先生やリハビリの小川先生の的確な治療・アドバイスのおかげで、杖なしで歩けるようになり感謝しております。
 今後は自主トレーニングに励み、100mを走れるよう頑張ります。
posted by 仙台整形看護部 at 00:00| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第244号

『 やさしさをありがとう 』
G.S様


 脊髄が圧迫されて入院。先生やスタッフの方々にやさしくされて心から感謝しております。
 本当に有難うございました。身体に気をつけて頑張ります。
posted by 仙台整形看護部 at 00:00| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第244号

『 入院生活 』
K.S様


 私は石巻赤十字病院の紹介で、7月25日仙台整形外科病院に入院致しました。主治医は高橋良正先生。入院後診察を受けCT・MRI・レントゲンなどの検査の結果「胸椎黄色靭帯骨化症」と診断され、手術することになりました。手術は8月9日。朝9時30分より夕方4時30分頃までのようでした。手術の前には良正先生と白鳥先生の説明を受け、心配することなく手術を終えることができました。
 術後は看護師長さん、手術担当の浅野看護師さんや看護師の皆さん、看護助手の皆さんには毎日のように、優しい言葉そして優しい笑顔に励まされ感謝の気持ちで一杯です。そしてリハビリに入り、理学療法士長さんには車いすからウォーカーそして杖歩行になるまで御指導頂き、有難うございました。
 私も順調に快復しているようなので、順調に行けば10月2日頃には退院と思っております。
 私は第3病棟に入院しましたが、病室の皆様も良い人ばかりでいつも笑い声の絶えない病室でした。皆様には大変お世話になりました。
 私も11月がくると75歳になりますが、病院のスタッフの方々も健康に留意され、これからも患者さんの治療にあたって頂きたいと思います。
 今回の入院では大変お世話になり、有難うございました。
posted by 仙台整形看護部 at 00:00| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

2011年10月20日

みどりのかぜ 第243号

『 3月11日14時46分 』
S.M様


 その日私は、本社がある栗原市築館町で仕事をしていた。午後2時ごろに仕事を終えて、仙台の事務所に向かったのである。午後2時30分位に築館インターから高速に乗り、その16分後にマグニチュード9、最大震度7を体感することとなった。その時私は時速120q位で追越車線を走行しており、若干ハンドルを取られる感覚と同時に、携帯電話の緊急地震速報の警報が鳴ったので、地震だなと直に認識できた。次にラジオの速報で「走行中の車は路肩に止めて停車してください」と言うのを聞いて、速度を落とし走行車線へと移動した。通常ならそのまま走り続けるのだが、そのときの揺れは道路が波打ち、速度を落としても真っ直ぐ走行できる状態ではなかった。バックミラーで後をそして対向車線を見るとほとんどの車が路肩に寄せて停車している。これはただ事ではないと思い私もすぐ停車した。どの位の時間揺れていたのだろか。揺れが収まるのを待ち車を走らせた。ラジオからは大津波警報が発令されている。「大津波」初めて聞く響きである。家族の安否、家は大丈夫か!いろいろな事が頭をよぎり不安になる。今までにない位に心臓が鼓動を打ち、足がガクガクしている。
 とりあえず家に戻ろうと思った。と言うのは緊急時には家に戻って待つ、というのが家族内での決め事の一つであるからだ。泉インターで降り自宅へと車を走らせた。国道4号線は大渋滞でほとんど動かない。ありとあらゆる裏道を走り、やっと自宅に着いたのは夕方六時を過ぎていた。子供達二人もすでに帰宅しており、妻も七時頃に帰宅し一安心である。
 次は近くに住む親などの安否確認のため暗闇のなか車を走らせた。街灯もなく自動販売機のほんの小さな灯りもない道路が、これほど怖いものかと実感しながら慎重にハンドルを握り運転し、親達の無事を確認し自宅へと戻った。
 幸い家はさほど被害を受けていなかったので、家の中で過ごすことができた。その日は家族4人と、半壊してしまった友達の家族と共に次の日の朝を迎えた。3月11日の私の一日の出来事である。
 この日の出来事は、私達の心に深く残る出来事であり、忘れてはならない出来事である。
 震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
posted by 仙台整形看護部 at 00:00| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第243号

『 入院生活で大切なこと 』
第3病棟 T.T様


 入院生活では会話をすることが一番大切だと思います。一人で考えても答えは出ません。患者さん、看護師さん、看護助手さんと会話することで、自分をアピールするといろんな事が解決するはずです。

@ 患者さんと情報交換することで、同じ痛みが分かりあえるため、気持ちが落ち着きます。
A 看護師さん看護助手さんとは立場が違うため、看護する側、看護される側とは違うことを理解し、会話することで距離を縮めてください。縮めることで手術前は、かなり精神的に楽になります。

 手術後は色々お世話してもらい感謝の気持ちでいっぱいになります。私の入院生活では不安に感じたことは何もなかったです。
 今後入院生活を送られる方、参考にしてください。
posted by 仙台整形看護部 at 00:00| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

2011年09月20日

みどりのかぜ 第242号

『 手術を無事終えて 』
第4病棟 M.A様


 私が仙台整形外科病院に入院したのは5月17日、その前は他の病院で一カ月程入院し、ブロック注射などで様子をみていました。
 私が腰椎椎間板ヘルニアと診断されたのは、四年前次男を出産してからのことでした。毎年多少の痛みと痺れはでていたものの、湿布とカイロで乗り切り、家では二児の母親そして会社員として働いておりました。
 あの3月11日の大地震より家族が増え、家事の負担なども増え、無理に無理を重ねた結果、右太腿裏からふくらはぎまでの激痛と、右足首から下が痺れ歩行困難、食欲もなく睡眠も1〜2時間程度、精神的にも体力的にも限界でした。
当院に転院後、十一日目に兵藤先生に手術をして頂き、先生、看護師さんの前であんなに涙を流していた日が嘘のように、痛みが全くなくなりました。食欲も戻り睡眠も7時間くらいとれるようになりました。
 その後の経過も順調で退院の日も見えて来ました。毎週末一時間半かけて病院に来てくれる家族の所に帰れると思うと、何だか胸が熱くなります。
 実は私、入院してからこのみどりのかぜ≠何度も読み、勇気をもらった一人です。入院患者さんもどうぞみどりのかぜ≠読んで、私のように不安を吹き飛ばし勇気を貰って一歩一歩前へ、そして焦らない気持ちで入院生活を送って頂けたらと思います。
 仙台整形外科病院の皆様、本当にありがとうございました。そして、退院までの間、もう少し宜しくお願い致します。

posted by 仙台整形看護部 at 00:00| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第242号

『 感謝 』
第5病棟 H.A様


 私は3月3日自分の不注意で転び、腰椎圧迫骨折で入院しました。入院は二回目です。一回目は腰部脊柱管狭窄症で手術しました。
 入院後の3月11日午後2時45分頃、日本最大の9.0の地震、間もなく最大の津波がきました。地震の時は若い看護助手さんが、私のベッドに覆いかぶさり「大丈夫、大丈夫」と私を励ましてくれました。
 病院内は何とか収まりましたが、外は津波や火事と言った大変なことが起きていました。電気、電話全てのライフラインが止まりました。病院では自家発電でテレビを見ることができました。12日の朝から食べる物がなく、先生方や看護師さん、スタッフの方も私服のままで病院に泊まり、患者達を守ってくれました。
 私は七ヶ浜の汐見台に住んでおり、津波には助かりましたが家族との連絡が取れませんでした。13日朝2時30分頃、息子と孫が心配して来てくれました。七ヶ浜からガレキの上を歩いてきたそうです。
 先生や看護師さん、リハビリのおかげで退院も近くなり、楽しい入院生活を送りました。
 6月8日に退院しました。帰り道、津波の様子を車の中から見ましたが、外国を見ているのか映画を見ているのか驚くばかりでした。家は被害がありませんでしたが、息子の理容店がなくなっていました。家族には何もなく本当に良かったです。9歳の孫に「おばあちゃん、地震の時家にいたら死んだかも」と言われました。入院していたおかげで助かりました。
 無情に耐え強く生きましょう。

posted by 仙台整形看護部 at 00:00| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

2011年09月01日

みどりのかぜ 第241号

『 娘に感謝 』
第4病棟 A.M様


 私は五月十二日に首から肩、腕、手先までの痛みと痺れで当院に入院しました。その前は、年が明けて間もなく、気仙沼の病院に腰の痛みで通院治療を続けておりましたが、経過が思わしくなく三月三日の診察日に紹介状を書いていただき、三月十四日に仙台整形外科病院に診察に来る予定でしたが、三月十一日のあの東日本大震災が起こり、一カ月遅れの四月七日に仙台整形外科病院を受診しました。その日も家に帰ると大きな余震が起きました。今思いますと三月三日に気仙沼の病院より紹介状を書いてもらわなければ、三月十一日が気仙沼の病院の診察日だったので、もしかしたら私自身も震災に遭っていたかもしれません。
 さて、紹介状をもって受診したのですが、自宅療養期間が長かった為か、腰の痛みも和らぎ症状も安定しつつありましたが、頚椎の痛みに痺れが強くなり入院したわけです。入院後三週間余り立ちましたが、大分痛み、痺れも主治医の先生の治療により、お陰さまで良くなってきております。
 それに入院中、市内に住んでいる長女夫婦、孫が毎週のように見舞いにきてくれるし、洗濯物を洗ってくれるので大変助かっております。また栗駒に嫁いだ二女と娘婿には、通院の足として車での送迎をしてくれ、入院の日も送ってもらい本当に有難く思っています。
 最後に外に嫁いだ娘達ではあるが、大変感謝すると共に、私自身早く身体を治し仕事に復帰したいと思っています。

posted by 仙台整形看護部 at 00:00| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第241号

『 社会復帰を楽しみに 』
第3病棟 T.K様


 病院の庭をゆっくりと歩きながら、足が痛くなく歩けるのは何年ぶりかしらと思いました。二月末に外来で高橋先生に見てもらい手術を決めたあと、三月十一日の大震災で入院が遅れたりしましたが、手術をしていただいたおかげで、一歩一歩地面に足をつけて歩いても痛くなく、歩行できることにジーンとくるものがあります。
 一人で苦しんでいた自分が馬鹿みたいです。また社会に出て働く生活ができると思うとワクワクします。
 本当に先生はじめ看護師さん、病院で出会った人々のおかげです。
 本当にありがとうございました。

posted by 仙台整形看護部 at 00:00| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

2011年08月01日

みどりのかぜ 第240号

『 無痛手術への感謝 』
第5病棟 T.S様


 古い話ですが、小生は小学校2年の時に敗血症、高校2年で野球肩の痛み、更に24歳で肩の痛みが再発し合計6ヵ所の麻酔なし手術の経験があります。
 小学生の時は、恐怖と痛みに泣き叫んでいたことと、肩の手術の際は、歯を喰いしばり爪跡が付くほど拳骨を握り締め、心臓を波打たせながら、痛みに耐えたことを思い出します。とにかく手術とは死ぬほど苦しく、痛いものだと記憶されていました。
 4月11日、腰部脊柱管内のう腫を兵藤先生の執刀で手術をしてもらいました。『手術は無事に完了しましたよー』とかすかな呼び掛けを聞いて、麻酔から覚醒しました。次に『足の親指を動かして下さい。足首も動かしてみて』と言われ、何事もなかったように動くことを確認しました。
 直後に再び眠ったとみえて、エレベーターに乗る時の小さな段差の音とか、ベッドに移してくれる際の場景がおぼろげにわかっております。この朦朧とした意識の中で、現在は麻酔が効いているので痛くは無いが、時間が経てばあの痛みがくるのだろうな・・・と、不安が入り混じった覚悟をしておりました。
 翌12日は意識もはっきりし、尿道に管を挿入されており、垂れ流し状態であることを知りました。どうしても「お漏らしの感覚」から逃れなかったものでした。更に化膿止めなどの薬液を連続して点滴しておりながら、手術前の両大腿と左足外側部のシビレ感が全く無くなっていることがわかりました。これさえも麻酔が効いているからであり、切れたら痛みが発生するのだろうと、例の不安が頭をもたげていました。
 夕刻、看護師さんに『麻酔はいつ頃切れるのですか?』と尋ねたら『もうとっくに切れていますよ』と言われ、一瞬に不安が取り払われ安心して夢心地となりました。術後、何らの痛みを感じさせないで完了させてくれた、兵藤先生や麻酔科の白鳥先生をはじめ、看護師の皆様を含めた統合チームの卓越した技能と技術に感服し、有難く心より感謝し御礼を申しあげます。
病棟内で術前とわかった方には、自分の無痛手術の話をし、少しでも不安感を取り除いてやるための会話もしました。
 大震災を経験しました。今回多くの皆様から頂いた『ご恩』の恩返しとして、東北の復興を目指し努力しようと思っております。
 本当に『無痛手術』有難うございました。

posted by 仙台整形看護部 at 00:00| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第240号

『 思いのままに 』
第3病棟 ?様


 うららかな
  春日は人の
   恋しくて
 野道歩めば
  土筆生うらん

 花冷えの
  駐車場飛ぶ
   燕(つばくらん)
 一瞬隠るる
  植え込みの中

 日が長く
  なりましたねと
   いいかわし
 挨拶するも
  はるかとなりぬ

 電話より
  甥の家族の
   笑い声
 ベッドに一人
  吾も和めり

 気をつけて
  いるつもりでも
   老い露
 昨日つまずき
  今日は転倒

 医師告ぐる
  3ヵ月とは
   長からむ
 はや腰据えて
  4ヵ月経る

posted by 仙台整形看護部 at 00:00| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第240号

『 震源 』
第5病棟 T.M様


 夏空を

  見上げて回想う 大地震

余震にも

  めげず働く その姿

震えてる

  あなたの努力と優しさに

僕の心がまた震えてる

posted by 仙台整形看護部 at 00:00| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第239号

『 感謝 』
第5病棟 K.M様


 私は2月16日自宅前の路上で転び、縁せきに頭を打ち意識がなくなり、通りかかった方が救急車を呼んでくれた。広南病院へ一日入院し、MRIの結果異常なしと診断され退院するも、次の日腰が痛く仙台整形外科病院を受診。胸腰椎圧迫骨折で入院。
 3月11日の東日本大震災、マグニチュード9・0の大地震、毎日不安な日々が続き大変なとき、スタッフの皆様の優しさと指導のもとに退院することが出来ました。
 本当に感謝申し上げます。ありがとうございました。

posted by 仙台整形看護部 at 00:00| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第239号

『 退院まで 』
第5病棟 ?様


 朝起きると腰が痛い。痛みに耐えて近所の病院へ行く。診察の結果ヘルニアではないとのこと。薬をもらい帰宅したのが3月7日。薬が効いたのか痛みは和らいだ。しかし9日の朝、再び痛みが、今度の痛みは強烈だった。立つこともできず、両足が麻痺して動かなくなった。家中大騒ぎ。友達二人に抱えられて宮城野区内の整形外科病院へ、診断はヘルニアの疑い、紹介状を書いてもらい仙台整形外科病院を受診。診察の結果は「腰椎椎間板ヘルニア」即入院し第5病棟へ。翌日レントゲン・MRI・CT撮影。主治医から詳細な説明を受け重症と言われ、そのとき初めて事の重大さに気づかされた。
 3月11日午後1時過ぎ手術室へ。麻酔で「本人夢の中」手術開始、そして終了。麻酔が覚め気が付くと暗い病室が何か騒がしい。そのとき付添い役の愛妻が「アラ、お目覚めですか」の声。何かあったのかと尋ねると「貴方は幸せ者だ」と言うではないか。手術中の2時過ぎマグニチュード9・0の大地震があり大変だったとのこと。幸いにも手術終了間際だったので事なきを得たようで、隣で手術を受けた方は途中で手術を止めたそうです。手術後エレベーターが止まり、担架で5階まで運んだそうです。
 手術後は回復に向かっていくが、震災後の病院は大変なものでした。毎日余震でグラグラ、ガス、電気、燃料が止まり、暖房もなく外部との連絡もとれず、暗い夜が何日続いたか。そんな中看護師さん達の活躍は凄かった。看護師さんも罹災されているのに制服を脱ぎ、私服で患者さんの身が第一と懸命に使命をはたそうとする姿は素晴らしかった。色々な物資が止まり、入院患者の食事には相当苦労したようでした。「こんな物でごめんね」と言い各病室に配膳していた。
 津波で人、家が流され避難されている方々を思えば、ベッドで寝ている身いくらでも我慢できた。
 お陰さまでリハビリも順調に進み、4月22日に退院となりました。車いすの生活になってもおかしくない状態で、こんなに早く歩けるとは、本当に有難く思います。
 病院が一体となり、患者を守ろうと真剣に取り組む素晴らしい病院に入院できた私は幸せ者です。
 本当に有難うございました。

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みどりのかぜ 第239号

『 人間万事塞翁が馬 』第4病棟 ?様

 これは中国の故事から、人間の運命や人生の幸不幸は予測できないと言った例えです。たしか私が中学の教科書で習った記憶があります。
 3月11日に発生した未曽有の東日本大震災、私は塩竈の自宅で震災に遭いました。幸いにして家族も無事、津波では家の基礎が高かったため、床下浸水も逃れました。
 しかしながら、震災により勤務する工場が被災し、被害が甚大であるために復旧を断念することが正式に決定、職を失うことになりました。七ヶ浜町で津波の被害を受けた伯父夫婦の無事を確認した私は、神様に感謝しました。
 伯父の家を片付け中に、自分の不注意により椎間板ヘルニアを発症。「立てない」「激痛」で夜も眠れない状況が一週間続き、仙台整形外科病院にお世話になりました。
 震災以降、様々な出来事があり正に幸不幸の繰り返し。「人間万事」でした。何より入院しなければ知り得なかった方々の優しい励ましの言葉に感謝し、心の財産として生かされた道を歩みたい。

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みどりのかぜ 第239号

『 入院と転機 』
第5病棟 T.T様


 中国の故事に「塞翁が馬」というのがある。人生の幸不幸は予測できないという「たとえ」
 アキレス腱断裂は今回で二度目である。約6年前は右足、今回は左足だった。両方とも地震に関連している。右足の時は地震で基石が倒れ、石屋とお寺に清算に行き、帰り道に脱輪車の脱出に手を貸したのが原因だった。
 今回は3月11日の本震による散乱した本と本箱を一度は元に戻し、4月7日の余震で再び同じ状態で同じ作業を行っていた時に起きた。あと2pの移動が断裂につながった。いずれも自分の不注意によるものである。
 前回の怪我は、趣味の写真の大きな転機となり、今日の成長と発展に繋がっている。
 今回の出来事は、今後の私の人生にどんな転機となって、新しい出来事や出会いをもたらすのだろう。

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みどりのかぜ 第239号

『 ありがとう 』
第4病棟 T.A様


 平成23年2月2日、腰椎圧迫骨折で入院しました。もう3ヵ月目になろうとしています。やはり圧迫骨折は「安静にして寝ている」それが一番なのだなーと、つくづく感じました。
 入院して1カ月たたないうちに、腰の痛みが和らぎ楽になってきました。左右の手を伸ばして物をとる行動ができる、嬉しかったですね。それに「くしゃみ」が3年ぶりに腰に響かずできたこと。感動して涙がでました。医師に話しましたら「えっ!」とびっくりしていましたが、私は腰痛と腰の重圧感はここ2年間快方せず、持病だと思いながら痛みに耐え、自営業の仕事を手伝ってきました。今は腰の痛みは楽になりました。ただ腰の重苦感はまだ多少あります。全快というわけにはいきません、でも帰りましたらまた頑張るしかありません。仕事がまっているから。
 高橋良正先生は、優しい心で患者の心と身体を把握して励ましてくれました。これが我々患者の病が治る源だと思います。リハビリの先生方も優しく、挨拶は素晴らしく男性は皆イケメン、女性は美女ばかりでみな生き生きとしていて、我々老人もリハビリをがんばろうという力を貰いました。
 最後にあの3月11日の大地震をこの病院で体験しました。ものすごい揺れの中、私はベッドの手すりにしがみつきました。揺れ動くベッドやテレビボード、本当に忘れることはないでしょう。あの揺れの中看護助手の方がボードを押えてくれなかったら、私は怪我をしていたかもしれません。誰も怪我人なし、本当に奇跡としか思えません。この病院で助かり、生きている今があるのだと思います。
 各病室の皆々様と仲良くなって、笑い声の絶えないそして痛みを分かち合える、そんな病院生活で私はとても幸せでした。本当にありがとうごさいました。
 またお世話になる時があると思います。その時は先生方よろしくお願いします。
 ボケ防止 寝てばかりいてはだめです 笑いましょう。

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みどりのかぜ 第239号

『 人生という時間 』
第3病棟 K.K様


 ベッドから時計を気にする機会が急に増えた。入院当初に、人生を24時間に例えた話を思い出した。突然目の前に投げられた大量の自由な時間。その時間の消化を迫られたためかもしれない。
 もし、人の一生を80年として、その人生を24時間に例えたとすれば、20歳で起床時間にあたる午前6時、40歳で正午の昼休み、仕事を引退し定年期を迎える60歳が、退社時刻に近い午後6時になる。
 昨今のニュースではよく、ちょっとしたことで自暴自棄になる若者の行動が話題にされる。先の例えでは、まだ起きてもいない年齢にあたると考えると、せめて布団から出て、顔を洗ってからでも・・との思いが過ぎる。
 さて、「自分は?」と言えば、午後の仕事に入った2時位になるのだろうか。この入院は思いもよらない休憩になってしまったが、定年までの午後3時間にどんな仕事をすべきかを、病院関係者への感謝も込めて、ベッドの上で思案している。

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みどりのかぜ 第239号

『 四年前の手術から再び 』第5病棟 K.Y様

 またもや二度もお世話になるとは、夢にも思っておりませんでしたが、それでも今回は迷わず仙台整形病院へと参り、素晴らしい技術を持たれた川又先生に執刀して頂き、術後の経過も良好で退院を間近に控えている状態です。
 今回の入院にあたり、一生心から消え去ることのない、あの3月11日の地震。恐ろしく、怖い、辛い悲しみを味わい「なんで・・」という思いばかりでした。同室でお世話になった方のお孫さんが津波に攫われ二人亡くなり、祖母として孫を、母として娘を思う辛さ、悲しさ、悔しさで葛藤している姿を目のあたりにして、とても心が痛みました。何故こんなことが起きてしまったのか・・なかなか現状を受け止められず辛い日々の中、皆さんの優しい言葉、励ましは本当に心強く温かく、私自身感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
 これからは微力ながら復興に向け、一歩一歩前に進んでいきたいと思っております。

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みどりのかぜ 第239号

『 私の病院生活 』
H.Y様


私は3月2日に腰の痛みで仙台整形外科病院に入院しました。以前にも入院したことがあり、今回も同じ先生でした。前の入院の時はなんて乱暴な先生と思っていましたが、とても適切な先生だと記憶してます。
 外来受診後即入院と言われましたが、なにも用意してこなかったので、入院は2日になりました。
 入院生活が始まり、それからが地獄としか言いようのない話になる訳です。私は痛くて痛くて動けなく、まずMRIを撮るのも一度は試みるが我慢できず、ブロック注射をしていただき何とか撮ることができました。それでも30分されど30分と言うじゃありませんか!何とか挑戦することができた。それでも痛みは続き、痛み止めとステロイドを注射した時は、いくらか和らぐため続けて欲しかったが、血糖値が高く続けられませんでした。
 ところが3月11日、東日本大震災に遭い、それからが悲惨でした。地震後のため治療が全くできず、食事はカンパンなどで、こんな状況で約二週間経過しました。大変ながらも看護師さん達には、本当に苦労をかけました。ようやくブロック注射ができるようになったのに、4月7日またまた震度6強の地震があり、入院中に二度も経験したことは初めてで、度肝を抜かれたと言うか、この病院で良かったと思いながら、大変な二ヵ月でした。
 こんな経験一生涯忘れません。こんな経験二度と味わえないだろうと思います。



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2011年05月30日

みどりのかぜ 第238号

『 私の記憶 』
第3病棟 F・M様


 私は現在76歳と2ヵ月、物忘れ、特に人の名前が覚えられずまた忘れ方が激しい。
 さて、私は1月の生まれで早生まれ。6歳で小学校(普通は7歳)へ入学。その時左胸にハンカチをたたんでぶら下げ、学校に行ったことが記憶にある。
 そして小学校ではなく国民学校だった。入学したのは昭和16年、太平洋戦争が始まった時、それから終戦が5年生の時、朝礼から教室に入れられ、天皇陛下の玉音放送を聞いた。8月15日は雲一つない青い空。飛行機が一機飛んでいた。その後、一年を経て学制改革で国民学校がなくなり、元の小学校になった6年生の時、中学に入るために夜予習をし、度胸試しまでしたが、新制中学になってそれは無駄になった。
 終戦と共に野球(ベースボール)が盛んになってきたが、最初は隣の同級生とキャッチボールを始めたのが口火だった。
 今は昔、その友も今は病弱。私もしかり、年と共に人は老いる。
posted by 仙台整形看護部 at 07:24| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第238号

『 九十一歳の出来事 』
第5病棟 T・I様


 お正月三日から急に背中が痛み出し苦しみました。
 みやぎ県南中核病院と村田の善積病院の診察を受け、仙台整形外科病院を紹介され、13日に入院しました。「脊椎圧迫骨折」と診断されました。即病室に入り横になり安心しました。これから入院3ヵ月と言われました。安静を続け先生、看護師さん方の手厚い看護を受け、日がたつにつれ痛みを忘れるようになりました。皆様のお陰です。
 2月になり亜急性期病床のお部屋に移りました。その後3月11日の大地震に遭い驚きました。5階病棟も凄くゆれ、私のベッドも隣の方のベッドまで滑り、テレビ台も倒れ引き出しの中も全部出て、コーヒーカップも壊れました。余震もまだ続いています。
 長い長い3ヵ月余りの入院生活も終わり、4月9日に退院することになりました。皆様のお陰です。リハビリの先生方にも、大変お世話になりました。本当に有難うございました。感謝の一言です。
 杖をたよりに生きていきます。
 皆様、お元気でお過ごしください。
posted by 仙台整形看護部 at 07:15| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第238号

『 やさしさを有難う 』
第5病棟 K・N様


 胸椎圧迫骨折で入院。毎日のスタッフの方々の温かい言葉と優しさにふれ、自分もいつしか優しい心で接することを教えられました。有難うございました。
 3月10日の退院予定を延ばした次の日、大地震が。住まいは荒浜。テレビから流れる若林区荒浜です。半信半疑で家が流され、跡形もないなんて信じられませんでした。
 10日目位に家族に連れられて現場に。東部道路の先はガラクタの浮かぶ湖のよう。田んぼの中には建物の残骸やらトラクター、車、バイク、袋に入った座布団、衣類、冷蔵庫、松の木やら電柱までありとあらゆる物が。家は跡形もなくコンクリート作りの小学校と体育館だけが。その屋上に避難した者だけが助かり、逃げ遅れたひとは未だに見つからない人達が多数。私は難を逃れました。
 海は何事もなかったように波打っています。何でこんないたずらを?水の威力に驚かされた次第です。忘れられない古希の誕生日になりました。でも頑張ります。
posted by 仙台整形看護部 at 07:10| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

2011年02月20日

みどりのかぜ 第236号

『 君に出会って 』
第3病棟 M様


 不安だらけの毎日だった。でも君がそれを変えてくれた。
 いつの間にか人は変わる。自分が変わるのではなく、自分が変えられるのだと私は思う。
 ある時、苦しんでいて「痛い」とも言えなかった君に、私は声をかけることも出来なかった。でも一つだけ出来たと思う。「一緒にいてあげる」ってこと。私は君に支えられた。私は君を支えることが出来たのだろうか。
 最後に一つ君に言いたい。バイバイじゃなくて「またね」って。
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みどりのかぜ 第236号

『 退院したら 』
第3病棟 N・M様


 年末に事故にあい、他の病院からこちらを紹介されました。
 最初は動くのも辛かったのですが、主治医の先生、看護師の皆様に大変お世話になり、おかげさまで元気になりました。
 看護師の友人から、医療の仕事の大変さは聞いていましたが、これほどとは思いませんでした。
 地元から世話をしに来てくれる家族にも感謝したいです。
 初めて入院してみて思うのは、普通に生活できることがとても幸せなことだということです。
 退院したらやりたいことはたくさんありますが、まずはきっと友人と二ヵ月我慢していたお酒を飲みに行くと思います。(笑)
posted by 仙台整形看護部 at 00:00| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第236号

『 感謝 』
第4病棟 T.O様


 入院生活もはや一カ月経過です。その間主治医の先生や看護師さん方には多大なご迷惑やら、お世話をおかけしました。ありがとうございました。
 特にこの度お世話になったのは、「医療福祉相談室」の存在です。他の病気ではあり得ないほどのお世話になり、思わず涙腺が緩むほどでした。
 他の病気とは「喉の異常」で当院に入院する以前から気付いておりました。二ヵ月前に転んだのが原因なのか、下肢痛や痺れ、歩行困難のため、耳鼻科の受診はできず入院になったのです。痛みも痺れも快方に向かってきた頃、かすれ声が気になって内科の先生に相談したところ「主治医の先生に紹介状を書いてもらい、耳鼻科で診てもらった方がいいですよ」と言われました。主治医の先生は「いつでも紹介状は書きますが、一人での耳鼻科外来受診は許可できません。家族に連絡してください」と言われました。私としては、これ以上家族に迷惑は掛けられない・・と困っていた時、医療福祉相談室の室長さんが、私の相談に乗ってくださり、すぐに通院時の付添い介助業者や介護タクシーなど、また耳鼻科病院受診の予約などを迅速に手配してくださいました。おかげで速やかに診察を受けることができ、安心できました。
 仙台整形外科病院の基本理念に「思いやり」が唱えられています。「思いやり」は簡単なようで実は本当に難しいことです。本当に心からの「思いやり」の理念を守っている人は、少ないのではないでしょうか。
 とかく患者は話下手です。それを静かに聞き、何を訴えたいのかを察知し、聞き上手になって聞きだしていく…それが「思いやり」の基本だと私は思います。
 優しい言葉遣いは「命の威力がある」と言われています。マイナス思考で落ち込んでいる私に、元気を付けるために「昭和三年生まれですか?あまりにもお若いので本当に驚きました」たとえお世辞でも嬉しかったです。何歳になっても女性は女です。思わず今度は笑みがこぼれました。
 入院生活で本当の「思いやり」と「感謝」を考えさせられました。
posted by 仙台整形看護部 at 00:00| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

2011年01月20日

みどりのかぜ 第235号

『 焦り 』
第3病棟 H.G様


 頂きに
   白き衣の
     冬支度

 退院も
   完治ならずで
     冬模様

 痛くない
   君の言葉に
     励まされ

 日々の流れに
   焦るこの頃
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みどりのかぜ 第235号

『 六十日間の闘病生活 』
第5病棟 T様


 待ちに待った手術を三日後に控えて、看護師さんからの励ましや、手術後の指導を受けながら、私は好きな編物をして気を紛らわせていました。当日は看護師さんの指示に従い、全てを任せればいいのだと自分に言い聞かせ、時間が来るのを待っていました。あっという間にその時がきて…。
 ベッドを起こしてもらい、久しぶりに見た夕日がきれいでした。術前の痛みは消えて、ウォーカーで歩く自分の姿に嬉しさがこみ上げ、手術をしていただいた院長先生、徳永先生には感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
 毎日のリハビリの大切さを学び、今は階段の上がり降りも出来ます。これも高橋先生の指導のおかげだと思っております。
 看護師さんの優しさや、看護助手さんの気配りと、親しくしていただいた患者さんの方々に、支えられていた毎日でした。
 退院も決まり12月31日に安心して自宅に帰れます。
 皆様本当にありがとうございました。これからは自分の体を労わり、がんばっていこうと思っております。
posted by 仙台整形看護部 at 00:00| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第235号

『 感謝 』
第5病棟 K.T様


 入院中はお世話になりました。
 昨年外来にきていた時に、院長先生に手術を勧められましたが、私は75歳にもなっており、手術なんて考えてもおりませんでした。院長先生は「70代で手術する人はいくらでもいます」とおっしゃって下さいましたので、家族と相談し手術をしていただくことにしました。先生は「涼しくなったら手術をしましょう」とのことでした。
 10月27日に手術をしていただきました。担当は橋先生でした。手術前には何回も先生に説明をしていただきましたが、随分難しい手術のようでした。手術は6時間もかかったそうです。
 術後は師長さん、看護師さん達に優しくしていただき、本当にありがとうございました。同室の患者さん達もみんな良い人達で、毎日楽しく過ごさせていただきました。
 おかげさまですっかり良くなり、退院することになりました。
 先生や優しかった看護師さんのことは、一生忘れません。
 ありがとうございました。
posted by 仙台整形看護部 at 00:00| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年

みどりのかぜ 第235号

『 一枚の贈り物 』
第5病棟 ?様


 一ヵ月半近い入院生活となりましたが、大変お世話になりました。
 汚い字でスミマセン…。
 看護師さん、看護助手さん達のおかげで、何不自由なく生活できたと思います。初めての入院でしたが、いい経験になりましたし、振り返ると淋しい気持ちになるくらい皆さんには良くしてもらえたと思います。
 洒落っ気のない紙切れ一枚ですが、本当にありがとうございました。とても感謝しております。
 看護という仕事は何よりも大変な仕事です。皆さんご自身をご自愛下さい。そしてお仕事がんばって下さい。
posted by 仙台整形看護部 at 00:00| みどりのかぜ 第235〜246号 2011年